Title 使ってみると、見えてくる。AIと人間の、境界線。

Date 2026.04.24
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使ってみると、見えてくるものがある。AIと向き合い続けてきた一人の経営者として、正直に話そうと思う。

見えないからこそ、人は余計に不安になる。でも行動すると、物事の輪郭が見えてくる。冷静に、客観的に分析できるようになる。AIに対しても、それは同じだったんですよね。

使う前は漠然と怖かった。使った後は、何が怖いのかがはっきりした。

恐怖が薄くなった部分もある。実際に使ってみると、便利だなと素直に思える場面がたくさんある。従来よりもポジティブな印象を、素直に持てるようになった。

でも逆に、より確定的になった恐怖もある。

今、僕はAIと壁打ちをしながらこの記事を書いている。つまりライターさんの仕事を、AIが担っているわけだ。従来専門性を形づくっていたスキルセットが、あっという間に無価値になる。その恐怖は、使えば使うほど確定的になっていくんですよね。

中途半端に使っていては、見えてこない

実際にコア業務をAIに渡してみた。

最初は経験やスキルをそれほど問わない業務を渡していた。クオリティも確かにそのレベルで、それでも感心したのを覚えている。ところが今こうして壁打ちしながら記事を書いている。これは経験やスキルをそれほど問わない業務ではない。相当高いレベルの仕事だ。最初に感心したレベルから、ここまで変わった。そのことに、今まさに驚愕しているんですよね。

AIのスピード・瞬発力が圧倒的だということも分かった。情報が少なくても、指示が曖昧でも、何かを返そうとしてくれる。真っ白なキャンバスに最初の一筆を入れること、人間だと躊躇してしまうようなところを、普通のことのようにやってくれる。

そしてPDCAのサイクルが異常に速くなった。AIが素早く仕上げてくれる。チェックして気になる点を伝える。するとまたすぐに修正案、別案を出してくれる。一人でやろうとすると限界がある。分業しようとすると打ち合わせのコストやラグが発生する。でもAIとならそのラグがない。短期間でクオリティを上げることができるようになったんですよね。

そしてフィリピンにある弊社の子会社で、エンジニアの執行役員と二人でハッカソンをやった。土日を使って、普段自分たちが手でやってきた仕事を全てAIにやってもらうというルールで。お客様からヒアリングした情報の整理から始まり、サイトの構成案、各ページのレイアウト設計、そして実際の画面を動かすプログラムの作成まで、ウェブサイト制作の一連の工程を全てAIで試してみた。

やりながら、奇妙な感覚があったんですよね。

これは自分たちの業務を根こそぎ奪ってしまうかもしれない、いや、奪うであろうということの証明を、自分たちでやっているような感覚だった。普通は自分の仕事を守ろうとするはずなのに、あえてその逆をやっている。自分たちにしかできないと思っていた仕事を、あえてAIに委ねてみる。その場を意図的に作ったからこそ、見えてきたものがあったんですよね。

「人間にしかできない」という錯覚と、本当の介在価値

やってみて分かったことがある。

言語情報の整理・まとめは、AIが圧倒的に得意だ。

お客様からヒアリングした情報の文字起こしデータ、その精度が高ければ、それをまとめる作業はAIの方がはるかに優秀だということに気づいた。かつては「私にしかできない」「人間にしかできない」と思っていた仕事が、実はAIの方が得意だった。

ただし重要なのはソースの品質だ。録音した音声を文字起こしした、そのデータが間違っていれば、AIであろうが人間であろうが、その後の工程は全て間違っていく。ソースの品質を高めることが、まず人間がやるべきことだと思うんですよね。

そしてもう一つ気づいたことがある。人間相手だと気を遣って言えないことがある。「ここが違う」「もう少しこうしてほしい」と思っても、遠慮してしまう。でもその遠慮自体がクオリティを下げている。AIに対してはその遠慮がほとんどない。思ったことをそのまま伝えられる。結果としてクオリティが上がるんですよね。

では人間にしかできないことは何か。

それは「空気感」を読み取ることだと思うんですよね。

飲食店のにぎわいは、1日何人来客、何回転というデータでは見えてこないものがある。どんな人たちがどんな表情で何の話をしているか。店員の動き、料理、空間。あらゆる要素が複合的に重なって、初めて空気感が生まれる。

同じことが、お客様の会社にもある。

お客様は聞かない限り、自分から言うことはない情報がたくさんある。でも現場に行って空気に触れて感じることで、こちらから質問したり確認したりする行動が生まれる。その行動によって、初めて重要な情報が得られる。質問は、観察から生まれるんですよね。その場に存在して全身で感じ取ることは、AIにはできない。

この空気感をキャッチする感性の根本にあるのは、相手への興味関心・好奇心だと思うんですよね。心理学に「熟知性の法則」という考え方があって、ザイアンスの法則とも言われるんですけど、人は相手のことを知れば知るほど好意的に感じるようになるというものです。僕らも社内の研修でこの考え方を学んで以来、共通の言葉として使っています。

お客様のことを最初は「知らないといけない」という気持ちでヒアリングを始めるんですけど、話を聞いていくうちに自然と興味関心が湧いてくる。感情移入してくる。そうなると、その場に漂う空気感も自然とキャッチできるようになって、何らかの情報にしようという主体的な意識が芽生えてくるんですよね。

そしてその空気感を読み取るためには、相手に警戒心を抱かせないことが重要だと思うんですよね。敵じゃなく味方だと感じてもらう。胸襟を開いて距離を詰めていく。心理的安全性が確保されると、腹の内を話してくれる。

空気感を読み取ること、感じること。そしてもう一つ、人間の役割として残っていくことがあると思うんですよね。それはレビューし、評価し、判断することだ。

AIのアウトプットだろうが、デザイナーやエンジニアが作ったアウトプットだろうが、それがいいのか悪いのかを判断する行為は同じだ。僕らはお客様と「同じ眼鏡をかける」という表現をしているんですけど、お客様が持っている評価指標を一緒に具体化して、同じ視点でアウトプットを評価していく。

そのためにまずしっかりヒアリングをする。お客様の理想状態、現在地、そしてその間にあるギャップ、課題を明確にしていく。ヒアリングを通じてお客様自身が気づいていなかった潜在的な課題が見えてくることもある。こうしてプロジェクトの目的を設定して、要件を定義していく。

そしてその目的・要件を満たしているかどうかで、アウトプットを評価していく。

ここで大事なのは、好き嫌いの感情を入れないことだと思うんですよね。例えば四十代の経営者が「私はこのデザイン、あまり好きじゃない」と言ったとする。でもそのプロジェクトの対象者が新卒の学生だったとしたら、その感情は参考にならないわけですよね。自分が対象者でないなら、自分の感情は関係ない。目的達成のために要件を満たしているかどうか、それだけで評価する。

この眼鏡を、デザイナーやエンジニアにもしっかり共有して、同じ評価指標でアウトプットを評価していく。それが僕らの仕事だと思うんですよね。

そして今AIがあらゆるアウトプットを生成できる時代になったからこそ、レビューの重要性がより高まっていると思うんですよね。AIで生成したかっこいいデザイン、よくできたプログラム。でもそれ一つ一つに対してレビューが入っていないと、お客様に出した時に「なんか違う」ということが起こり得る。

僕らの会社はそれが比較的少ない方だと思うんですよね。なぜかというと、お客様と同じ眼鏡でレビューを共有しているから。AIがどんなに素晴らしいものを作っても、その眼鏡がなければ「なんか違う」は必ず起きる。

AIが作れる時代だからこそ、正しく評価できる人間の役割がより重要になってくるんだと思うんですよね。

そして共感という話をすると、AIも共感しているように見える。でも実際には、共感しているように見える言葉を生成しているだけなんですよね。そこに意味を見出しているのは、受け取った人間の側だ。感じ取って、意味を見出す。それが人間にしかできないことだと思うんですよね。

「この人だったら分かってくれる」という感覚の正体は、同じ体験を持っているということだと思うんですよね。

デザイナー同士だとデザイナーあるあるで盛り上がれる。営業同士だと「こんなタイプのお客様がいるよね」「あのパターンはちょっと苦手だよね」という話で自然と共鳴できる。でも営業の経験が全くないエンジニアにその話をしても、ぴんとこないわけですよ。

AIも膨大なデータから「共感しているように見える」反応を返せる。でも実際にデザイナーとして徹夜した体験も、営業として理不尽な場面に立ち会った体験も持っていない。

AIが再現しているのは「共感の形」であって、「共感の中身」ではないと思うんですよね。

そしてその「この人だったら分かってくれる」という感覚があるからこそ、人は本音を話す。腹の内を見せる。それによって初めて、本当に重要な情報が得られるんですよね。

専門性という垣根の崩壊、一人オーケストラの時代へ

非エンジニアの僕が、Claude Codeを使ってアプリを作ってみた。

GitHubの設定、APIキーの取得、データベースの契約、ターミナルでの作業。全てが初めての体験だった。これは本来エンジニアの仕事だ。でもClaude Codeにサポートしてもらいながら、独力でやり切った。

エンジニアの仕事を自分が体験したことで、新しい話題が生まれた。今まで自分の中になかった話題をテーブルに上げられるようになった。毎朝の朝礼でのやり取りが、何倍にもなってしまったんですよね。AIが新しい対話を生んだ、それは確かだ。

でも正直に言うと、ポジティブな感覚より、脅威の方が大きかったんですよね。

以前はエラーが起きたらエンジニアの執行役員に相談していた。相談内容をまとめて、チャットで伝えて、打ち合わせのスケジュールを合わせて、オンラインで話す。そのプロセスを頭の中で考えている間に、Claude Codeに指示すれば作業がもう完了してしまっているんですよね。一人で。しかも恐ろしい速さで。

人に相談すること自体が、コストになってきているんですよね。

そして強烈に感じたことがある。職種ごとに専門性という壁で仕切られていた時代が、終わりつつあるということだ。ディレクターがデザインしてもいい。デザイナーがソースコードを書いてもいい。営業がシステム開発のモックアップを作ってもいい。むしろそれが当たり前の時代になってきているんですよね。AIがその壁を全てなくしてしまった。

言ってみれば、一人オーケストラの時代だと思うんですよね。自分が指揮者でありながら、AIエージェントがさまざまな楽器を演奏してくれる。従来はシンバル、バイオリン、ビオラ、フルートと役割が分かれていたオーケストラが、一人でできてしまう。

だからこそ、「これは自分の仕事じゃない」という発想は通用しなくなってきていると思うんですよね。職種の垣根を意識しすぎると、一人でできることがどんどん狭くなっていく。

AIをアシスタントとして使うのではなく、相棒として一緒に仕事をする。そのイメージだと思うんですよね。調べ物や資料整理といったサポート業務を任せるのではなく、自分のコアな仕事そのものをAIと一緒にやっていく。どこまで一人でできるか、AIとどこまで組めるか。それが問われる時代になってきたんですよね。実はこの記事自体がその一例だ。ライターに頼まずに、AIと壁打ちをしながら自分で書いている。

新しいことを楽しめる人、新しいことに躊躇なく飛び込めて変化を楽しめる人、職種の垣根にとらわれない人。そういうアーリーアダプター的な感覚を持った人と一緒に働きたいと思うんですよね。これまでのやり方に固執する人には、正直厳しい時代になってきていると思います。

だらこそ、面白い時代だ

正直に言う。前に進んでいるのか、逃げているのか、延命措置をとっているのか、まだ分からない。

でも時々こう思うんですよね。もし自分がAIに直接業務を代替されるような業界にいなかったら、AIをどう感じていただろうかと。おそらく「便利な時代だな」「楽しい時代だな」と、もっと気楽に受け取れていたかもしれない。

自分たちの業務に直接関わるから怖い。AIが生産性を上げてくれる、品質を上げてくれる、そういうサポートとして存在してくれるなら話は違う。でもそのレベルじゃないんですよね。

例えばライターの仕事で言うと、原稿の草案を作ってブラッシュアップしてほしい、文章を整えてほしい、データを調べてほしい、そういうサポート的な使い方ならいい。でもヒアリングから、インタビューから、原稿作成まで、全部AIがやれてしまう。となるとライターという仕事そのものが要らなくなるわけですよ。

これは僕らにとって他人事じゃない。デザイン、ディレクション、企画、ブランディング。僕らが担ってきた仕事も、同じように丸ごと代替されてしまうかもしれない。実はこの記事を書きながら、その恐怖をリアルに体感しているんですよね。

それでも、この時代は面白いとも思うんですよね。

AIが僕らに突きつけてくれた問いは、実はこれまで考えてこなかった本質的なことだと思うんですよね。人間にしかできないことは何か。空気感を読む感性、同じ体験から生まれる共感、目的と要件に基づいた判断。こういったことを、これほど真剣に考えるきっかけは、AIがなければなかったかもしれない。

そしてその問いの答えが見つかった時、僕らという会社は新しい存在意義を帯びて、この時代にふさわしい形に脱皮できるんじゃないかと思うんですよね。社会への貢献の仕方が、アップデートされていく。

見つかるかどうかは、正直まだ分からない。でも見つかったら、宝物を見つけたような感覚になるんじゃないかなと思っています。そこについては、少しわくわくしているんですよね。

AIの登場は、産業革命に匹敵する転換期だと思っています。人類社会にとって全く初めてのことが、今まさに起きている。こんな時代を生きていること自体、考えてみたらなかなかできない体験なんですよね。

その転換期を、面白いと捉えられる人と一緒に働きたい。AIを相棒にしながら、誰も見たことのない景色を一緒に探しにいける人と。

それが、今のライオンハートの正直なメッセージだ。