「フィリピン」と聞いて、御社はまず何を思い浮かべるでしょうか。コールセンター、BPO、あるいは人件費の安いオフショア開発先。多くの経営者にとって、フィリピンは今でも「安く早く」を実現するための拠点という位置づけだと思います。
実はこの見方、少しもったいないと感じています。私自身、株式会社ライオンハートというグローバルブランディングエージェンシーを名古屋で経営しており、10年以上前からフィリピンに子会社を構えてきました。最初はやはり、日本法人の制作業務をサポートしてもらう「アシスタント」としての位置づけでした。ですが最近、その構図を根本から見直す決断をしています。
今回は、私たちがフィリピン子会社を「アシスタント」から「実験の場(Lab)」へと再定義した経緯と、そこから見えてきた海外拠点の新しい活かし方についてお話しします。結論を先に言うと、海外拠点を「本社の指示を安く早くこなす下請け」ではなく「本社より先に試し、成果を逆輸入する実験拠点」に変えることが、これからの中小・中堅企業にとって競争力の源泉になると考えています。

フィリピンの実力は、感覚ではなく数字にはっきりと表れています。フィリピン人の英語話者人口は世界でアメリカ、インドに次ぐ第3位とされ、人口の約9割が英語を話せるといわれます。BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)産業の受け入れ規模は世界第2位。そして生産年齢人口が増え続ける「人口ボーナス」は、周辺国が2020年代後半から2040年代でピークアウトしていく中、フィリピンだけは2062年まで続くとされています。
地理的な条件も見逃せません。成田からの直行便で約4時間半、時差はわずか1時間。すでに日系企業1,500社以上が拠点を構えており、製造業やBPOだけでなく、近年はソフトウェア開発やフィンテック領域での協業も増えています。つまりフィリピンは、単なる「安価な労働力」ではなく、若く、英語が通じ、時差なく働ける「もう一つの経営資源」として、静かに存在感を高めているのです。
私たちのようなクリエイティブ・ブランディング業界でも、この変化は無関係ではありません。かつてフィリピンの強みといえば、コールセンターの音声対応や単純な制作作業の代行が中心でした。しかし今、現地の若いデザイナーやエンジニアたちは、日本の同世代と遜色ない、あるいはそれ以上のスピードで新しいツールやAI技術を吸収しています。「安い労働力」という前提で拠点を見ている経営者ほど、この変化に気づくのが遅れるのではないかと感じています。
それでも、私たちを含む多くの日本企業は、海外拠点を「コストセンター」として捉えがちです。人件費が安いから任せる。日本人が忙しいから肩代わりしてもらう。それ自体は経営判断として間違っていません。ただ、その発想のままでは、海外拠点はいつまでも「本社の下請け」の域を出ません。
経営学の世界には「リバース・イノベーション」という考え方があります。新興国向けに開発された技術やサービスが、逆に先進国市場で普及していく現象を指す言葉です。多くの場合、この言葉は製品開発の文脈で語られますが、私は組織づくりにも同じ発想を当てはめられるはずだと考えています。海外拠点を「本社の指示を実行する場所」ではなく、「本社より先に試せる場所」に変えられないか。そう考えるようになったのが、今回の決断のきっかけでした。

私たちが今取り組んでいるのは、フィリピン子会社を、デジタルアート領域のリッチな表現を実験する「Lab」として再定義することです。ウェブサイトの世界は今後、AIが担える「型通りの領域」と、人間の感性が介在する「型を壊す領域」に二極化していくと見ています。後者の代表格が、アニメーションや3DCGを駆使したデジタルアートに近い表現です。プロンプトの指示だけではうまく再現できない繊細なタイミングや演出は、人間が手を動かしながら試行錯誤して初めて形になります。
正直に言うと、今の私たちのお客様から、こうした表現を求められる機会はまだ多くありません。ですが、お客様の課題は多様です。いざ必要になったときに「手札がない」では提案すらできない。需要が来てから動くのでは遅いのです。そこで、フィリピンのデザイナーとエンジニアが協力しながら、先んじてこの領域の実装実験を積み重ねる体制をつくりました。
私は、海外拠点を「Lab」として機能させるための条件は、突き詰めると次の3つだと考えています。
この取り組みで意図的に変えたのは、情報の流れる向きです。これまでは日本からフィリピンへ、仕事を「渡す」構図でした。それを逆転させ、フィリピンで先に実験し、達成した成果を日本へ「輸入」する構図にしています。
以前、フィリピンでAIを活用したコーディングの実験を行い、その結果をオンラインで日本チームに共有したことがありました。日本法人ではまだ着手できていない領域だったため、日本のスタッフにとって率直に刺激になったと思います。正直に言えば、日本のスタッフに多少の「焦り」を感じてもらいたいという狙いもありました。海外拠点が本社を追い越す瞬間があってもいい。そのくらいの緊張感が、組織全体の推進力になると考えています。
この方針転換を後押ししたのは、現地メンバーの声でした。フィリピンのメンバーの転職理由を振り返ると、多くが「新しい技術に挑戦したい」というものだったのです。優秀な人材ほど、同じ業務・同じ技術の反復に飽きやすい。向上心が強いからこそ、成長実感のない環境からは離れていきます。
これは人材市場全体の傾向とも符合します。フィリピンの人材は、5年後・10年後といった長期的なキャリアプランよりも、1年後・2〜3年後という短いスパンでの成長機会を重視する傾向があると言われます。年功序列的な発想ではなく、挑戦の機会そのものが定着の鍵を握っている。だとすれば、「Lab」という挑戦の場を用意することは、会社としての技術的な備えであると同時に、最も有効な人材定着策でもあるわけです。会社の準備とメンバーの成長が、同時に進んでいく。これこそが、この実験に最も期待している効果です。
日本国内で採用や定着に頭を悩ませている経営者の方にこそ、この視点は参考になるのではないかと思っています。給与や福利厚生で競うだけでなく、「ここでしか試せないことがある」という環境そのものが、人を惹きつけ、留める力を持つ。それは日本人メンバーに対しても、実は同じことが言えるはずです。
フィリピンが「世界トップクラス」と呼ばれる理由は、安さや早さだけではありません。若く、英語が通じ、そして何より「挑戦したい」という熱量を持つ人材がいることだと、私は実感しています。その熱量をどう引き出すかは、受け入れる側の経営判断次第です。
海外拠点を「安く早く回すための場所」で終わらせるか、「本社より先に試せる場所」に変えるか。その分かれ目は、拠点の規模でも予算でもなく、経営者がどんな役割をそこに与えるかにあると考えています。
私たちのフィリピンでの実験も、まだ始まったばかりです。うまくいっていること、想定通りにいかないこともこれから出てくるでしょう。ただ、こうした試行錯誤の過程そのものが、ブランディングやデジタル表現の可能性を広げる糧になると信じています。もし御社が海外拠点や海外人材の活かし方に悩まれているなら、その拠点にまだ眠っている「挑戦したい」という熱量に、一度目を向けてみませんか。同じような問いに向き合っている経営者の方とは、ぜひ一度、率直に情報交換をしてみたいと思っています。
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