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2026.09.07

「彼には敵わない」と思ったとき、経営者が本当にすべきこと

「彼には敵わない」と思ったとき、経営者が本当にすべきこと

経営者をやっていると、他人と自分を比べて勝手に落ち込む夜がある。SNSを開けば、同世代の経営者が大型の資金調達を発表していたり、雑誌の表紙を飾っていたりする。「彼らには自分にないものがある」、そう考えて自分を納得させるのは、正直かなり楽だ。でも僕は、その考え方が嫌いだ。というより、経営者がいちばん逃げ込みやすい「思考の避難所」だと思っている。今日は、経営者としての劣等感と僕自身がどう付き合ってきたかという、かなり個人的な話をしたい。

フィリピン・セブで出会った、あの人のこと

もうずいぶん昔の話になる。フィリピン・セブへの視察で、ある経営者とご一緒したことがあった。NOT A HOTEL株式会社の創業者、濵渦伸次さんだ。その頃から彼は立派に会社を経営していて、物腰も語り口も、明らかに「できる人」のそれだった。彼が創業したアラタナは、その後、ZOZOグループ入りし、そこから独立して2020年にNOT A HOTELを立ち上げ、今では誰もが知るブランドに育て上げている。

先日、たまたま彼が登場するNewsPicksの映像を見かけて、当時のことをふと思い出した。同じ時期に同じ場所にいて、同じように「経営者」を名乗っていたはずなのに、なぜこうも差がついたのだろう。正直に言うと、少し落ち込んだ。情けない話だが、これは何年経っても消えない感情だ。「彼らは私にはないものを持っている」——そう考えて割り切るのは、精神衛生上、とても楽な逃げ道だ。でも、しばらく考えて、僕はその逃げ道を自分に禁止することにした。

「彼らには自分にないものがある」は、思考停止の言い訳だ

これは少し極端な話に聞こえるかもしれないけれど、僕は本気でそう思っている。創業したばかりの頃、松下幸之助の書籍を読んでいて、「すごい経営者だ」と素直に感動したことがある。でも同時に、こうも思った。「きっと彼より僕のほうが身体は丈夫だし、絵だってきっと僕のほうが上手く描けるだろう」と。

不遜に聞こえたら申し訳ない。でも、これくらい図々しく考えるくらいでちょうどいいと僕は思っている。結局のところ、同じ人間なのだから、能力の総量にそれほど大差はないはずだ。断言してしまうけれど、差がついて見えるのは才能の差ではない。選択と行動の「積み重ね方」が違うだけだ。もっと言えば、「自分には無理だ」と結論を急いで、積み重ねる機会そのものを手放してきたかどうかの差でしかないと僕は思っている。

濵渦さんと自分を比べて落ち込んだあの夜も、結局は同じ構造だったと思う。「彼にはあって自分にはないもの」を探すのは簡単だ。でもそれは、自分がこれまでしてきた選択や、これからする選択について考えることから逃げているだけだ。

差をつくっているのは才能ではなく「選択の総量」だ

選択と行動の積み重ねを表す抽象水彩イラスト

僕らの会社では、採用や組織づくりの現場で何度も壁にぶつかりながら、「事業家気質」という言葉にたどり着いた経緯がある。定義するなら、正解のない場所で「たぶん、こうじゃないか」と仮説を立て、泥臭く動き、何度でもやり直せる力のことだ。難しく言えば「抽象と具体の往復」だけれど、もっとシンプルに言えば「転んでもただでは起きず、走りながら考え抜ける力」であり、「誰かのせいにせず、現場で答えをつくりにいける強さ」のことだと僕らは考えている。

社内を見渡しても、これは共通して言えることだ。最初から結果を出せる人なんていない。「たぶんこうじゃないか」と仮説を立てては外れ、また立て直す。その泥臭い繰り返しに、周りの理解が追いつかない時期だって当然ある。それでも腐らずに「今、自分ができること」を考え続けられるかどうかで、半年後の景色はまったく違うものになる。

才能があったから成果が出るわけじゃない。「たぶんこうじゃないか」という仮説を、誰よりも多く実行に移せるかどうかだ。経営者として僕が見てきた限り、結果を出している人とそうでない人を分けているのは、この選択と行動の「回数」であって、生まれ持った資質の差ではない。

自分がいちばんパフォーマンスを発揮できることに、時間を使い切る

もうひとつ、僕が事あるごとに思い出しては、そのたびに立ち返る持論がある。それは「自分がもっともパフォーマンスを発揮できることに、目一杯時間を使うハードワークが重要だ」ということだ。実は今、僕自身がまさにそういう毎日を送っている。僕には経営の師匠と呼べる方がいて、その方は経営者にハードワークを強く求める。基準は月300時間。今の僕は、ちょうどその渦中にいる。

これは根性論を言いたいわけじゃない。むしろ逆で、「誰かと同じ土俵で、同じだけ頑張る」ことには、ほとんど意味がないとすら思っている。濵渦さんには濵渦さんの得意なフィールドがあり、松下幸之助には松下幸之助の得意なフィールドがあった。僕には僕の得意なフィールドがある。実家が陶芸家だったこともあって、僕にとって「手を動かして何かをつくること」や「相手の言葉にならないニーズを掘り下げること」は、子どもの頃から特に意識せずできたことだった。父が仕事の愚痴をこぼすのを、僕は一度も聞いたことがない。だから「仕事は楽しいものだ」という感覚が、理屈より先に体に入っている。だからこそ、月300時間というハードワークの基準を突きつけられても、そこに時間を注ぎ込むことにまったく迷いがない(とは言え大変だけども…)。

比較して落ち込む時間があるなら、自分がいちばん力を発揮できる場所を見極めて、そこにハードワークを一点集中させたほうがいい。これは精神論ではなく、かなり実務的な資源配分の話だと僕は思っている。誰かと同じ得意分野で勝負しようとする時点で、その勝負はもう半分負けている。

比較をやめられないなら、比べる相手を変えればいい

他者比較から自己比較への転換を表す抽象水彩イラスト

心理学の世界には「社会的比較理論」という考え方がある。人は自分の能力や状況を評価するとき、絶対的な基準ではなく、他者との比較によって判断してしまう傾向があるというものだ。経営者が誰かと自分を比べて一喜一憂してしまうのは、ある意味で人間として当然の反応だとも言える。だからこそ、「比較するな」というアドバイスは、正直あまり実践的ではないと僕は思っている。

僕がおすすめしたいのは、比較そのものをやめることではなく、比べる相手を変えることだ。他社の経営者や、SNSに映る誰かの成功ではなく、「半年前の自分」「去年の自分」とだけ比べる。そうすれば、比較は劣等感の材料ではなく、進捗確認の材料に変わる。

僕には格闘技という趣味がある。道場に行けば、運動能力もスタミナも自分をはるかに上回る20代の選手がいる。そういう相手と比べて凹んでいたらキリがないし、正直、比べる土俵が違いすぎる。だから僕が比べるのは、去年の自分のパスガードの上手さであり、コンビネーションの種類であり、半年前の自分のスタミナだ。それだけで、稽古のたびにちゃんと前進している実感が持てる。経営も、これとまったく同じ構造だと思っている。

結局、経営とは選択の積み重ねでしかない。派手な結果を出している経営者を見て落ち込む夜があってもいい。むしろ、その感情が一切湧かないなら、それはそれで危ういと思う。大事なのは、その感情をどこまで放置せず、次の一手のエネルギーに変換できるかだ。そこをサボった人から順に、1年後、5年後の景色に取り残されていく。僕はそう見てきた。

まとめ:劣等感を隠さない経営者と、一緒に仕事がしたい

経営者は皆、心のどこかで誰かと比べて落ち込む夜を持っている。それを平気なふりで隠すのではなく、「悔しい」「羨ましい」という感情をきちんと認めた上で、次の選択と行動に変えていく。僕は、そういう強がらない経営者や会社と、一緒に仕事がしたいと思っている。

実際、お客様である経営者の方々と話していると、自己開示は一方通行では終わらない。僕が弱さや劣等感を見せれば、相手も見せてくれる。気づけば、普段は誰にも打ち明けないような葛藤まで、お互いに共有していることがある。こうした感情の機微まで知っている存在は、この世にそう多くない。まして、クリエイティブを生業とする会社が、経営者の感情面まで理解している状態が何を意味するか。表面的なヒアリングでは絶対に拾えない「本当の課題」に手が届き、アウトプットの品質は間違いなく変わる。

単発の制作依頼だけでなく、毎月伴走する形のコンサルティング契約もおすすめしたい。腹を割って話せる関係を継続的に築けるかどうかが、結局はアウトプットの質を左右すると思っている。この話に少しでも共感してもらえたなら、あるいは「うちの会社にも似たようなモヤモヤがある」と感じたなら、ぜひ一度、話を聞かせてほしい。

参考・引用元
濵渦伸次 – Wikipedia
代表・濵渦が明かす、これからのNOT A HOTELが目指すこと|NOT A HOTEL inc.

市川厚

WRITTEN BY