「お前、視座低いな」
そう言われて、頭が真っ白になったことはないだろうか。僕自身、経営をやっていて、社内外でこの言葉が飛び交う場面を何度も見てきた。先日たまたま観ていた経営者向けの動画でも、社長が役員に対して感じる”視座の低さ”がテーマになっていて、思わず膝を打った。「稼ぐ脳」と「使う脳」は違う、という指摘だ。稼ぐ脳とは、自分の持ち場でどう成果を出すかを考える脳。使う脳とは、会社全体のリソースをどう配分すれば一番大きな成果が出るかを考える脳。役職が上がるほど後者への切り替えが求められるのに、そのスイッチが入らないまま「なんであいつは分かってないんだ」と評価を下げていく人がいる、という話だった。
これ、経営や役員の話に限らない。就活や転職で会社を選ぶときにも、実はまったく同じ構造がある。「言われたことを、言われた通りにやる人」と、「自分から価値をつくりにいく人」。ライオンハートが採用で本気で見ているのは、まさにこの分かれ目だ。僕らはそれを”事業家気質”と呼んでいる。今日は、その視座の差がどこで生まれるのか、そして僕らがなぜこの言葉にこだわり続けているのかを、実際にあったエピソードを交えて書いてみたい。
「視座が低い」と言われる人に共通する行動とは?
視座が高い人と低い人を分ける一番シンプルな違いは、「自分の持ち場だけを見ているか、全体を見ているか」だと言われている。自分の担当業務や自分のチームの成果だけを起点に考える人は視座が低く、部署をまたいで会社全体の最適解を考えられる人は視座が高い、という整理だ。頭では誰でも分かる話だと思う。でも実際の現場では、この差は驚くほどはっきり行動に出る。
例えば会議で「この施策、うちのチームにはメリットないので反対です」と言う人と、「うちのチームには負担だけど、会社全体で見ればプラスなのでやりましょう。ただし負担を減らす工夫は一緒に考えたいです」と言う人。前者は自分の持ち場を守ろうとしているだけで、実は悪気なく評価を下げている。後者は自分の損得より前に、会社という一つの生き物がどう動けば健全かを考えている。この差は、能力の差ではなく、思考のクセの差だ。
厚生労働省が2025年10月に公表した調査によると、令和4年3月に大学を卒業して就職した人のうち、3年以内に離職した割合は33.8%にのぼる。前年度より1.1ポイント改善したとはいえ、3人に1人が3年以内に会社を去っている計算だ。理由はさまざまだろうけれど、「自分の持ち場の外側に、面白さを見出せなかった」というケースが相当数含まれているんじゃないかと、僕は見ている。視座を上げる機会がないまま、目の前の業務だけをこなし続けると、仕事はどうしても退屈になっていく。
「稼ぐ脳」と「使う脳」――評価を分けるのは何か?

先ほどの動画の話に戻ると、「稼ぐ脳」と「使う脳」という表現が僕にはすごくしっくりきた。稼ぐ脳は、自分の目の前の仕事でどう成果を出すかに集中する脳。もちろんこれ自体は大事な力だ。若手のうちは、まずここを鍛えるべきだと思う。でも、稼ぐ脳のまま止まっている人と、途中から使う脳に切り替えられる人がいて、この切り替えができるかどうかが、いわゆる「視座が低いと言われる/言われない」の分かれ目になる。
使う脳というのは、平たく言えば「自分ごと」の範囲を広げる力だ。自分のタスクだけでなく、チームの成果、会社の利益、お客様の未来まで、自分ごととして扱えるかどうか。僕らがブランディングという仕事を通じてお客様企業を見ていても、この使う脳を持った社員が一人でもいる会社は、驚くほど変化が速い。逆に、稼ぐ脳しか育っていない組織は、個々の努力量は多いのに、会社全体としてはなかなか前に進まない。
ここで大事なのは、稼ぐ脳から使う脳への切り替えは、年次や役職では自動的に起きないということだ。役職が上がっても稼ぐ脳のままの人もいれば、年次が浅くても使う脳で動き始める人もいる。だとすれば、会社側がやるべきことは「役職を与えて視座が上がるのを待つ」ことじゃなく、「入社してすぐの段階から、使う脳を鍛える環境をつくる」ことなんじゃないか。僕自身、そのことに気づかされた出来事がある。
「新卒を舐めない文化」に出会って、僕らが気づいたこと
正直に言うと、ライオンハートに新卒3年目ですでに経営幹部のような視座を持つ社員がいる、という話ではない。むしろ逆だ。あるとき訪問した会社のメンバーがあまりに精鋭揃いで、素直に「どうしてこんなに優秀な人たちがいらっしゃるんですか」と聞いてみたことがある。彼らは口を揃えてこう言った。「自社には、新卒を舐めない文化があるんです」。新卒だからといって、「社会人1年生」として甘くみることはしない。やり方とゴールを渡して、あとは背中を押す。「できるよね」と。ちょうど自主学習の塾のように、自走する力が最初から試される文化だという。
そのとき対応してくれた方の振る舞いがあまりにスマートで、思わず「これはあなたの資質なのか、教育を受けてのものなのか?」と尋ねた。返ってきたのは「こういうのは、教わってできるようになるものです」という、淀みない一言だった。ハッとした。自分たちは、何も教えてこなかったんじゃないか。「できる人は、できる」「できない人は、できない」と、勝手に決めつけて片付けてしまっていたんじゃないか。本当は、そこに手を打てたはずだった。というより、手を打つのが当たり前のことだったんだと思う。
視座は生まれつきの才能じゃない。環境と経験によって、後天的に鍛えられるものだ。その事実を、僕らは社内からではなく、社外で出会った人たちから教わった。恥ずかしい話だけど、それが本当のところだ。こうしてお客様先や取材先で出会う魅力的な若手のみなさんから数々を学ばせてもらいながら、ようやく一つの言葉に辿り着いた。それが”事業家気質”だった。
事業家気質とは、具体的にどんな人のことか?

その”事業家気質”を、もう少し具体的に定義しておきたい。それは、正解のない問いに自分から踏み込み、未完成な状態を面白がりながら、自分の持ち場の外側にまで手を伸ばして価値をつくれる人のことだ。役職や指示を待たずに、自分の判断で動き出せるかどうか。ここに尽きる。
分かりやすい実例がある。中途入社して3年目のあるディレクターが、あるとき「ライオンハートはブランディング屋だけど、マーケティングが足りない」と言い出して、勝手に動き始めたことがあった。誰かに頼まれたわけでも、正式なプロジェクトとして立ち上がったわけでもない。彼が自分の目で会社の課題を見つけて、自分の判断で動いた、それだけだ。
最初は、周りの理解が得られたわけではなかった。「それって君の仕事なの?」という空気もあったと思う。それでも彼は腐らずに「今、自分ができること」を考え続け、アクションを止めなかった。やがてAIという追い風もあって活動が加速し、エンジニアと連携して、ついには自社サービスまでリリースするところまでいってしまった。本人はこう振り返っている。「去年まではたった一人の自分という感覚だったけど、今は自分の中に何人かの自分がいるみたいだ」。
僕らは「これが自分たちの商売だ」と凝り固まって、それだけを続ける組織ではありたくないと思っている。目の前のお客様の課題を見て、自分たちのリソースを見て、「お役に立てるかもしれない」と思ったら、GOする。理解されるか、応援されるか、そんなことを気にする暇があったら、目の前の改善を繰り返す。この「未完成さ」を面白がり、自らハンドルを握って加速させられる人。それが、僕らが事業家気質と呼んでいるものの正体だ。
2026年の働きがい調査でも、若手社員からは「昇進評価の公正さ」や「利益分配への納得感」への関心が高いという結果が出ている。頑張りが正しく評価される透明性を求める声が強いということだ。僕らの評価は、役職や年次では測らない。動いた人、視座を上げにいった人が、そのまま評価に反映される。中途3年目のディレクターの話は、その象徴的な一例だと思っている。
視座を上げるために、今日からできることは何か?
ここまで書いてきて改めて思うのは、「視座が低い」と評価を下げられる人と、年次に関係なく視座を上げ続けられる人の差は、才能でも学歴でもないということだ。差がつくのは、「自分の持ち場の外側に、自分から踏み出したかどうか」だけ。稼ぐ脳を鍛えることも大事だけど、いつまでもそこに留まっていては、視座は上がらない。
今日からできることがあるとすれば、次に会議や仕事で「これは自分の担当じゃないから」と思った瞬間に、あえて一歩踏み込んでみることだと思う。誰かに頼まれるのを待たず、「お役に立てるかもしれない」と思ったら動いてみる。それが、稼ぐ脳から使う脳へのいちばん小さな第一歩だ。
未完成な状態を面白がれる人。自分の頭で考え、答えを取りにいける人。「ブランディング屋だけど、マーケティングが足りない」と、誰にも頼まれていないのに言い出せる人。そういう人たちが集まる組織は、放っておいても勝手に視座が上がっていく。だから僕らは、これからも”事業家気質”の仲間を探し続ける。もし今の自分の仕事に、少し物足りなさを感じているなら。それはあなたの能力の問題じゃなくて、まだ自分から一歩踏み出していないだけかもしれない。





