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一宮のアトリエから世界へ。現代芸術家の「1000作品」を支えるオンライン美術館
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一宮のアトリエから世界へ。現代芸術家の「1000作品」を支えるオンライン美術館
一宮のアトリエから世界へ。現代芸術家の「1000作品」を支えるオンライン美術館

一宮のアトリエから世界へ。現代芸術家の「1000作品」を支えるオンライン美術館

一宮のアトリエで、カメラマンがシャッターを切り続けていました。

担当ディレクターはその横で、ひとつのシーンを待っていました。不破光智弘様と、制作やマネジメントを支える恭子様がソファに並ぶ。Webサイトに使うかどうかは、その時点ではわかりませんでした。こうして撮影をしていると、「ここはいい写真が撮れる!」と思える瞬間があります。そのソファの空間も、そのひとつでした。「説明しなくても伝わるものがある。そういう写真になると思いました」と振り返ります。

その不破様は、コンサルタントとして他人の期待に応え続け、主観を失って苦しんだ時期を経て、現代芸術家へと転身した人物です。その変化を間近で見届けてきた担当ディレクターにとって、このプロジェクトは仕事以上の意味を持つものでした。

事例概要

お客様名

アートワイズ株式会社 様

プロジェクト内容

Webサイト制作、ブランディング

用途

オンライン美術館(作品アーカイブ)、情報発信・集客、多言語対応

シチュエーション

現代芸術家としての独立・ブランド確立。
Webサイト・公式資料ゼロの状態から、知人紹介に依存しない集客基盤をつくる。

制作期間

3ヶ月

MICHIHIRO FUWA(不破光智弘)の公式Webサイト

STEP

01 課題

お客様の課題

届けたいものはあった。届ける場所がなかった。

紹介したくても、渡せるものがなかった

プロジェクトが始まった当初、不破様にはお手製の作品集以外にWebサイトも公式資料も存在していませんでした。それもあり、依頼のほぼすべては知人からの紹介で成り立っており、不破様の存在は知人の輪の外にはまだ届いていませんでした。
「不破さんを紹介しようにも、渡せるものが何もない」。これは不破様に絵を依頼された方々の言葉でした。私たちがまず直面したのは、この根本的な空白でした。

絵のタッチで選ばれても、本質は届かない

問題はそこだけではありませんでした。
仮に存在を知ってもらえたとしても、作品の色味やタッチ、飾る場所との相性だけで選ばれてしまうと、不破様の提供価値の核心は届きません。不破様が提供しているのは「絵」ではなく、対話を通じてお客様自身の情報を整理し、引き出し、言葉にまとめ、その人だけの主観を作品に昇華させるという一連の「体験」だからです。
「単なる絵を買っているのではなく、対話を通じて自身の情報を整理し、言葉で表現してもらう体験を買っている」。選ばれ方がずれてしまえば、取引は成立しても本質的なすれ違いが生じてしまいます。

届けたいメッセージと、届ける場所のギャップ

「他人に迎合して主観を失い苦しんだ」という自身の経験から生まれた、「お客様の主観を取り戻す手助けをする」という不破様のミッション。「生涯で1000作品をオーダーで描いていく」という決意。海外展開への可能性。価値に見合った評価と価格設定。
それらの可能性を、私たちは理解していました。だからこそ、それを届けるオフィシャルな拠点がないことの損失の大きさも、痛いほどわかりました。

02 LHメソッド戦略策定

現在地や課題を整理(現在地や課題を整理し、ビジョンの実現にコミット)

「主観の回復」を、ブランディングの核に据える。

一般的なWebサイトの発想を、最初から捨てた

「企業サイトでも採用サイトでもない。現代芸術家のブランディングをどう組み立てるか?最初から別物として考えていました」と担当ディレクターは語ります。
弊社のオリジナルフレームワーク『LHメソッド』を用いて理想・現在地・Gapを丁寧に整理していく中で、私たちがブランディングの核として据えたのは「主観の回復」というメッセージでした。どんなに美しいサイトを作っても、不破様がなぜ芸術家になったのか、何を届けたいのかが伝わらなければ意味がありません。作品カタログではなく、不破様という人間の生き様がそのまま伝わる構造を設計しなければならないと考えました。

転身のプロセスを知っているから、できることがある

この判断は、分析だけから生まれたものではありませんでした。
担当ディレクターは、不破様がコンサルタントとして苦しんでいた時期から、現代芸術家へと転身し、表情が明るくなっていく変化をずっと間近で見てきました。「口数も多くなって、楽しそうにしている不破さんを見る機会が増えた。それが嬉しかった」と振り返ります。
その関係性の深さが、表面的な要望に応えるだけでなく、不破様の内側にある世界観を根底から理解した上で設計するという、私たちならではのアプローチを可能にしました。

03 LHソリューション実装支援

課題を解決(LHソリューションで課題を解決)

アトリエの空気を、そのままWebに宿す。

まずアトリエへ行き、その空気を感じてくる

戦略が固まると、担当ディレクターは迷わず愛知県一宮市の不破様のアトリエへ向かいました。デザインの方向性を机上だけで決めるつもりはありませんでした。「実際にあの場所に立って、空気を感じてこないと始まらないと思っていました」。
都会の喧騒から離れた静寂。自然の音。光と影がゆっくりと変化していく時間の流れ。アトリエに漂うその「速度」が、そのままWebサイトのデザイン言語になりました。

「自然の速度感」で、美術館体験を再現する

現場で感じ取ったものを落とし込む段階で、私たちが徹底して排除したのは「演出過多」でした。
派手なビビッドな色、慌ただしいアニメーション、そういったものは一切使いません。代わりに採用したのが、空を流れる雲のようにゆっくりと変化する背景演出と、静かに動くスクロール挙動です。全体の色味から細部の動きに至るまで、「美術館を訪れた時のように、静寂の中で自分や作品と対話できる空間」に仕上げるために、調整を繰り返しました。
「何年経っても古くならない普遍性を軸にしていました」と担当ディレクターは言います。流行を追えば数年後には陳腐化します。不破様の世界観に、そういうものは似合わないと判断していました。国内外への発信を見据えた多言語自動翻訳プラグインの実装も、この段階で行いました。

熱暴走する撮影現場と、「どうしても撮りたかった一枚」

撮影は真夏の炎天下でした。カメラもタブレットも熱暴走するほどの過酷な現場でしたが、青空の下で素晴らしい写真が次々と撮れました。不破様と恭子様が冷たいお茶を何本も用意してくださり、みんなでお弁当を囲む時間もありました。
その日、担当ディレクターがカメラマンに「ここで撮ってほしい」と声をかけたのが、不破様と恭子様がアトリエのソファに並ぶ場面でした。使う使わないは関係なく、いい写真になると思ったからです。
狙い通り、説明しなくても伝わるものが写っていました。演じるでもなく、構えるでもなく、アトリエの日常がそのままフレームに収まったような一枚。担当ディレクターはただほっこりしていたと言います。

04 LHメソッド実行支援

ビジョン達成にコミットし続ける(状況変化に対応)

制作のプロセスが、主観を取り戻す場になっていたのかもしれない

プロセスそのものが、主観を取り戻す場になっていた

制作の過程で、担当ディレクターには忘れられない場面があります。写真の選定をしていた際、不破様は何度もはっきりと自分の意見を述べられました。「この写真はあまり好きではない」「これはすごく気に入っている」。プロからの提案をそのまま受け入れるのではなく、自分がどう感じるかを言葉にする。
客観に振り回され、主観を失っていた頃の不破様だったら、こうはならなかったかもしれない。自分をおさえて、私たちのような専門家の意見をそのまま受け入れていたかもしれない。楽しそうに写真を選ぶ不破様の姿を見ながら、担当ディレクターは主観を持つことの大切さをあらためて気付かされたと言います。
「このWebサイトを一緒につくっていくプロセスを通して、不破さんがさらに主観を取り戻していっているのではないかと思いました。そういう点で貢献できたなら、本当に嬉しいです」と、担当ディレクターは振り返ります。

不破様自身が、美術館を育て続けられる環境を

Webサイトの完成は、ゴールではなくスタートラインでした。
私たちが納品後に整えたのは、不破様がご自身の手で作品情報や個展のお知らせを登録・更新できるCMS環境です。手元から旅立った作品も一点ずつオンライン美術館に蓄積していける仕組みを作りました。その積み重ねが、「生涯で1000作品をオーダーで描いていく」という壮大なビジョンを支える地図になります。

一宮のアトリエから、世界へ

「世界中の人に知ってもらいたい。ご実家のある一宮の地に、世界から人が訪れるようになってほしい」——不破様のその想いを形にする拠点として、サイトは今も静かに機能し続けています。
多言語対応で世界中からのアクセスを受け止め、CMSで常に最新の情報を届けられます。かつては紹介なしには届かなかった不破様の世界観が、今は地球の裏側まで届く可能性を持っています。
「あの静かな一宮のアトリエに、いつか世界中から多くの人が訪れるようになってほしい」、担当ディレクターのその言葉の奥には、Webサイトの完成よりもずっと先にある景色が映っていました。