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2026.07.15

なぜ経営理念は「浸透」しないのか。20年の理念経営から見えた、理念を「使う」という発想

なぜ経営理念は「浸透」しないのか。20年の理念経営から見えた、理念を「使う」という発想

「経営理念は大事だとわかっているが、社内に浸透している実感がない」。ブランディングの現場で、経営者からこの相談を受けることが少なくありません。額に入れて壁に飾られた理念、名刺の裏に小さく印刷されただけの行動指針。存在してはいるが、日々の意思決定には結びついていない。パーソル総合研究所の調査では、企業理念の内容を「十分理解している」と答えた社員は41.8%、「同意できる」と答えた社員は44.5%に上る一方、実際に「意識しながら業務を行っている」「自然と体現できている」と回答した層は20〜30%台にとどまるという結果が出ています。理解と共感はあっても、実践までは届いていない。この落差こそが、多くの企業が抱える理念経営の壁だと感じています。

私自身、この壁に何度もぶつかってきました。名古屋でグローバルブランディングエージェンシーを経営して20年以上になりますが、創業当初は明確な理念など掲げていませんでした。メンバーそれぞれが異なる基準で判断し、結果的には創業メンバーは分裂してしまいます。その苦い経験から辿り着いたのが、「理念は掲げるものではなく、使うものだ」という考え方です。今回は、その実践の中身と、なぜAIが判断業務まで担い始めた今こそこの発想が重要になるのかを、経営者としての実感を交えてお話しします。

経営理念は「掲げるもの」から「使うもの」へ

理念経営という言葉を聞くと、多くの人は「立派な言葉を額縁に入れて掲げること」を想像するかもしれません。しかし私が20年以上の実践で学んだのは、理念とは飾るものではなく、判断に迷ったときに立ち返る「拠り所」として、日々の業務の中で実際に使い倒すものだということです。私なりに定義するなら、理念経営とは「理念を判断基準として業務に組み込み、経営者がいちいち指示をしなくても、メンバーそれぞれが同じ軸で意思決定できる状態をつくる経営スタイル」だと考えています。経営者の目が届く範囲でしか正しい判断ができないなら、組織はその大きさ以上に成長できません。

そこで私たちが変えたのは、理念を「唱えるもの」から「判断基準として使うもの」に位置づけ直すことでした。採用の場面では「この人は自社の価値観と合うか」を理念に照らして見極める。評価の場面では「なぜこの評価なのか」を理念を軸に論理的に説明する。日々のコミュニケーションでは、バラバラな方向を向いていたメンバーが、同じ判断軸で話せるようになる。理念が機能し始めると、経営者が細かく指示をしなくても、組織は自律的に動き出します。

なぜ今、理念が「使えるもの」であることが問われているのか

この話は、精神論として片付けられるものではないと考えています。むしろ今、経営理念を「実際に使えるかどうか」が問われる局面に来ているというのが、私の実感です。

生成AIの導入が進むほど、現場の定型作業はAIに代替されていきます。情報収集、資料の下書き、初期案の作成。かつては専門性として価値を持っていた作業の多くが、AIによって最低品質から底上げされつつあります。その結果、人間に残る仕事は相対的に「意思決定」の比重を増していきます。何を選び、何を捨て、何を優先するか。この判断を支える軸を持たない組織は、AIが出してきた複数の選択肢を前に立ち尽くすことになりかねません。

つまり、AIが得意になればなるほど、人間側の「判断力の源泉」である理念の価値は下がるどころか上がっていく。私はそう捉えています。理念を額に飾ったままにしている企業と、日々の意思決定の道具として使い込んでいる企業とでは、AI時代における対応スピードに大きな差がつくはずです。

理念を「使う」ための3つの実践ポイント

では、理念を実際に「使う」とは具体的にどういうことか。私たちが20年間の試行錯誤の中で機能したと実感しているポイントを、3つに整理してお伝えします。

理念を判断基準として使う3つの実践ポイントを象徴する、3本の柱の油絵風イラスト
  • 採用基準として使う。スキルや経験だけでなく、「この人は自社の価値観と合うか」を見極める判断軸として理念を用いる。合致していない人材をどれだけ優秀でも採用しないという判断は、短期的には機会損失に見えても、中長期では組織の一体感を守ります。
  • 評価基準として使う。「なぜこの評価なのか」を、好き嫌いではなく理念に基づいて論理的に説明できるかどうか。評価者の主観に左右されない軸があることで、評価される側の納得感も変わってきます。
  • 日々の会話の共通言語として使う。意見が対立したとき、「どちらが正しいか」ではなく「理念に照らしてどちらが適切か」で議論する。立場や役職に関係なく、同じ軸で話せることが、組織のスピードを支えます。

共通しているのは、理念を「感情の問題」ではなく「判断の道具」として扱っている点です。理念に賛同するかどうかという情緒的な話ではなく、目の前の判断にその理念を当てはめると何が導かれるか、という実務的な話に落とし込む。ここまで具体化して初めて、理念は現場で「使える」ものになります。

『道をひらく』が教えてくれること――哲学を血肉にするということ

雲間から光が差す山道を歩く人物を描いた、道をひらくことを象徴する油絵風イラスト

この考え方に改めて立ち返るきっかけをくれたのが、松下幸之助の『道をひらく』です。発刊から半世紀以上が経つ今も読み継がれ、累計500万部を超えるロングセラーとなっています。2026年3月には新たな解説書「松下幸之助直伝 道をひらく経営」が出版され、同年5月にも経営者向けの松下幸之助経営塾が開かれるなど、令和の今なお現役の経営哲学として読まれ続けています。

この本が長く支持される理由は、抽象的な精神論ではなく、松下幸之助自身の実体験から紡がれた、日々の判断に使える言葉が並んでいるからだと私は考えています。理念や哲学は、崇高な言葉として掲げられているうちは何も生み出しません。それが自分自身の判断や行動と結びついたとき、初めて「血肉」になる。松下幸之助が長年にわたり実務の中でこの哲学を使い続けたからこそ、時代を超えて読まれる言葉になったのだと思います。

私たちが取り組んでいる理念経営も、規模も歴史も比べものにはなりませんが、根っこにある考え方は同じです。理念とは、掲げて満足するものではなく、迷ったときに何度も立ち返り、使い込むことで初めて意味を持つ。20年間の実践を経て、ようやくその実感を持てるようになりました。

理念は、未来の自分たちを縛るルールではない

理念経営という言葉には、どこか「社員を型にはめる」というネガティブな印象を持たれることがあります。しかし私が実践してきた理念経営は、その逆です。判断基準が共有されているからこそ、経営者が細かく指示をしなくても、メンバーそれぞれが自分の頭で考え、自律的に動けるようになる。理念とは、自由に動くための土台であり、未来の自分たちを縛るルールではありません。

AIが判断業務の一部を担い始めた今だからこそ、経営理念を「掲げるもの」から「使うもの」へと捉え直すタイミングが来ていると感じています。もし自社の理念が壁に飾られたままになっているとしたら、それを今日の意思決定にどう使えるか、一度立ち止まって考えてみる価値はあるはずです。

私たちも、お客様企業の理念やビジョンを言語化し、採用や評価、日々の判断で実際に「使える」形に構造化するお手伝いを重ねてきました。理念を掲げ直すだけでなく、それをどう現場の判断基準に落とし込むか。そこまで一緒に考えられる相手として、経営者の皆さんの隣に立てたらと思っています。

市川厚

WRITTEN BY