タイの新車市場において、かつて9割を超えるシェアを誇っていた日本車が、2025年にはついに7割を切った。EV(電気自動車)市場に限れば、中国メーカーの存在感はすでに8割近くにまで達しているという調査もある。BYDだけでタイのBEV市場で約4割のシェアを握り、2022年に22%だった中国勢のシェアは、わずか2年ほどで71%まで跳ね上がった。数字だけを見れば「技術力で勝る日本車が、価格の安さで負けた」という単純な物語に見えるかもしれない。しかし、ブランディングを生業にしながら25年以上この業界で変化と向き合ってきた身からすると、この構図にはある既視感がある。優れているはずの側が、なぜ現地の生活者に選ばれなくなるのか。それは「品質」の問題ではなく、「変化の受け止め方」の問題ではないかと、僕は考えている。
東南アジアの日系メーカー関係者と話すと、必ずと言っていいほど返ってくる言葉がある。「品質やアフターサービスでは、まだ負けていない」。実際その通りなのだろう。故障率、耐久性、ディーラー網。積み上げてきた信頼はそう簡単に崩れるものではない。
ただ、現地の生活者がクルマを選ぶときに見ている軸は、必ずしもそこではないのだと思う。日本での販売価格より割高になりがちな日本車に対し、中国メーカーはASEAN・中国自由貿易協定を活用しながら現地生産・現地価格を徹底し、100万バーツ(約450万円)以下という価格帯で若い世代に浸透していった。デジタルネイティブ世代にとっては、大画面のインフォテインメントやSNS映えするデザインの方が、燃費の良さよりも雄弁な購買理由になる。
僕らがブランディングの現場で日々向き合っている問題も、構造はまったく同じだ。企業が「自社の強み」だと信じ込んでいるものと、顧客が実際に評価している軸は、驚くほど頻繁にズレている。ヒアリングを重ねると、企業側が誇らしげに語る強みの多くは、実は顧客の意思決定にほとんど影響していないことが分かる。逆に、企業側が「当たり前すぎて語る価値がない」と思っている要素が、顧客にとっての決め手になっていたりする。この非対称に気づけるかどうかが、ブランドが生き残れるかどうかの分かれ目になる。
僕らが提案の際に必ず行うヒアリングでも、「御社の強みは何ですか」と聞くだけでは、この非対称は見えてこない。大切なのは、その強みを実際に選んでいる顧客が、他にどんな選択肢と比較し、最終的に何を決め手にしたのかを掘り下げることだ。「安いから」と答える顧客の裏には、価格そのものよりも「初期費用の重さへの不安」が隠れていることがある。表面的な言葉ではなく、その奥にある本音まで踏み込んで初めて、本社が信じている強みと現地の評価軸のズレが見えてくる。

僕が広告・デザインの業界に入ったとき、すでに写植という職種はなくなりかけていた。IllustratorやPhotoshopでのデジタル制作が当たり前になり、データはMOやCD-Rに焼いて印刷会社へ郵送していた時代だ。それがしばらくすると、オンライン入稿へと切り替わった。記憶媒体を送る必要そのものがなくなり、郵送スケジュールを前提にしたワークフローが根底から崩れた。さらにクラウド化が進み、ファイルをメールで送り合う文化そのものが消えた。そして今、AIが同じことをもっと速いスピードで起こしている。
気づいたときには後戻りできないほど進んでいて、それまでのスキルセットが一夜にして意味を失っていた。僕はこれを「下りのエスカレーターを登っている感覚」とよく表現する。自分では前に進んでいるつもりでも、変化のスピードの方が速ければ、相対的にはどんどん後退していく。
僕の中では「不可逆な変化」を、こう定義している。「元のやり方に戻る方が、新しいやり方を続けるよりもコストが高くなってしまった変化」のことだ。写植からデジタル制作に戻ることはもうできないし、オンライン入稿から郵送に戻ることも、クラウドからローカル管理に戻ることも、現実的な選択肢ではない。ブームと不可逆な変化を分けるのは、規模の大きさではなく、この「戻るコスト」が逆転したかどうかだと僕は考えている。
厄介なのは、変化の初期段階では「まだ様子見でいい」という判断が、たいてい正しく見えてしまうことだ。写植の技術者たちも、オンライン入稿の担当者たちも、変化が本格化する直前まで「自分たちの仕事はなくならない」と信じていた。渦中にいる人間ほど、変化の速度を過小評価してしまう。これは能力の問題ではなく、人間の認知の癖に近いのだと思う。だからこそ、経営者は自分の直感を過信せず、意識的に「この変化はもう戻らないかもしれない」と疑うクセをつける必要がある。
東南アジアのEVシフトも、同じ構造で見た方がいいのではないかと僕は思っている。「まだガソリン車が主流だから」「品質で選ばれているから」という現状認識は、その変化がまだ不可逆になる前の、つかの間の安心材料に過ぎない可能性がある。ある試算では、EV比率が2026年にかけて3割まで上昇した場合、タイにおける日系メーカーのシェアは約6割まで落ち込むという。変化の芽を「一時のブーム」と切り捨てた瞬間、対応の時間はもう残されていない。
東南アジアの自動車戦争は、規模の大小を問わず、海外や新しい市場と向き合うすべての企業に共通する問いを投げかけていると思う。僕自身、経営の意思決定のたびに、次の3つを自分に問い直すようにしている。
変化そのものを止めることは誰にもできない。できるのは、その変化を早く正しく認識し、現場に権限を渡し、動き続けることだけだ。東南アジアの街を走るクルマの勢力図は、遠い異国の出来事ではなく、自分たちの会社が同じ過ちを繰り返していないかを映す鏡のようなものだと、僕は感じている。こうした構造的な変化の読み方や、ブランドと顧客の間にあるズレの見つけ方について、興味を持っていただけたなら、一度じっくり話をしてみたい。